平成29年4月7日(金)〜6月初旬

端午の節句と刀装具






旗指物


元服用飾鎧と鷹の羽屏風


 端午の節句は、中国から伝わる古い風習で、奈良・平安時代に宮廷で行われていた行事でした。
 江戸時代、徳川幕府の泰平の世の中になると、祝日として五節句が定められ、四季の行事を楽しむようになります。武家社会では、武具や武者人形、歌舞伎や能などの主人公の人形を飾り、町人は武家にならい鍾馗様や武者絵・鯉の瀧昇りなどを描いた幅広い旗を飾りました。後に、小ぶりの武具や幟旗をまとめた一つの枠に飾ることが流行していったようです。そして、今日のような外飾りの鯉幟が盛んになっていきます。
 
 本間家は商人ですが、藩の財政再建、砂防林の植林など様々な事業の功績により、名字帯刀を許され、武士の身分を頂いていました。端午の節句飾りも元服用飾鎧・旗指物・鷹の羽屏風で、江戸時代からの床飾りの趣を今に伝えています。


 江戸時代、登城の際に武士の装いが必要となり、鎧や刀などを用意しなければなりませんでした。現在では、儀式用に使用された鎧のほか、拵(こしらえ)・鐔(つば)などの刀装具も併せて飾り、子供のたくましい成長を願います。
 三代光丘所用の刀の拵や、本間美術館の「清遠閣」「鶴舞園」を築造した四代光道所用の鎧なども公開しています。
 酒田は北前船の海運と最上川の舟運とで栄えた湊町。節句飾りの中にも紅花染めなどがあり、酒田独自の悠久の文化を見ることができます。また、庄内の金工細工師が作成した「庄内鐔」には、「波燕」「春暖図」「月に松原」など自然風土が表現され、とても趣深いものになっています。
 勇壮で雅な節句飾りと刀装具、伝来する歴史物語をお楽しみ下さい。


紺糸威両引合胴具足


展示品の一例
青貝微塵塗蜻蛉紋鞘 庄内鐔 赤穂浪士




400有余年の歴史ある酒田祭
 酒田祭は慶長14年(1609)に始まったと伝えられ、400有余年、毎年欠かさずに行われてきました。5月15日「神宿(とや)開き」が行われ、19日の宵祭、20日の本祭りは山車行列で賑わい、多彩なイベントが開催されます。
 三代光丘は明和二年(1765)祭りを盛大にすることで酒田の町を繁盛させようと、京都の人形師に「亀笠鉾」を造らせました。その後、町の商人や町々で山車を作り競い合い、活気ある祭りとなりました。諸国から見物客が集まり、酒田湊は北前船の帆柱が林の様に見える程に賑わったと伝えられています。当時から、光丘は観光というものを考えていたようです。
日枝神社大祭図 明治25年(1892)
 「亀笠鉾」は、笠をつけると5mもの高さになり、亀の背中にはおめでたい品々、鯛・宝珠・米俵・珊瑚・鹿などの宝物が乗っています。戦前までは山車行列の祭りでした。神宿には様々な山車の人形が飾られ、祭りの前日に準備、祭の当日に町中をひいてまわります。
 この「亀笠鉾」は、昭和62年から酒田市総合文化センターに展示されていました。平成13年に酒田市指定有形文化財に指定の上、2年をかけて京都で修復され、平成15年に再び酒田祭の行列に参加、皆様によろこばれました。現在は山居倉庫「夢の倶楽」でご覧頂けます。

 江戸時代、三代光丘が下日枝神社に寄進し、これまで参列してきたお神輿は大切に保存され、今年は新しく復元したお神輿で渡御行列が再現されます。
 昔の山車を復活させようと趣向を凝らした約50基もの山車が参加します。お楽しみに!
大正時代の神宿(とや)

平成15年修復 亀笠鉾が復元され酒田祭りに参加

平成21年 酒田祭り
 今年開邸35周年を迎えた本間家旧本邸で、江戸時代より大切にされてきた品々を身近に感じて頂けたら嬉しいです。昔物語になりつつある行事や品々、少しでも多くのものを未来に伝えていけますよう努めます。
 新緑の頃、皆様お誘いの上ご来邸下さい。心よりお待ち申し上げます。




四季折々の山海の幸が豊富で「食の都 庄内」と言われるほどです。
「ゆったりのんびり」心と体をリフレッシュさせ、おいしい食をお食事処やレストランでご満喫下さい!



「ふるさとの味覚」


:桜マス 鯛 孟宗汁 月山竹 山菜の天ぷら(山の恵み) イチゴ  etc...


:天然岩ガキ 鮑のステーキ 口細ガレイ のどぐろ 鮎 だだちゃ豆 メロン etc...

素敵なお土産をお持ち帰りください。