平成27年4月9日〜6月初旬

端午の節句と刀装具


旗 指 物 鷹の羽屏風・元服用飾り鎧



    
 本間家の端午の節句飾りは、昔から旗指物・鷹の羽屏風・元服用飾鎧です。現在は、拵や鐔などの刀装具なども飾りお祭りしています。鎧や拵などには紅花染めの糸が使用され、最上川の舟運と北前船でもたらされた文化も感じとることができます。
「庄内鐔」は庄内の金工細工師が作成したもので、「波燕」、「春暖図」、「月に松原」など酒田の風土や自然が表現され、とても趣き深いものになっています。
 本間家は商人ですが、財政再建、砂防林の植林、水利・公共事業など様々な事業を行い、その功績が認められ士分を許されました。登城の際には武士の装いが必要となり、鎧や刀などを用意しなければなりませんでした。これらは儀式用に使用されたものです。
 子供のたくましく健やかな成長を祈ります。



展示品の一例
神馬 刀掛け・拵えなど 錆地六十二間筋兜



  
   勇壮で雅な刀装具と伝来する歴史物語をお楽しみ下さい。









400有余年の歴史ある酒田祭


 

酒田祭は慶長14年(1609)に始まったと伝えられ、400有余年毎年かかさず行われてきました。5月15日神宿(とや)開きが行われ、多彩なイベントが開催されます。
 三代当主光丘は明和二年(1765)祭りを盛大にすることで酒田の町を繁盛させようと京都の人形師に「亀笠鉾」を造らせました。その後、町の商人や町々で山車を作り競い合い活気ある祭りとなりました。諸国から見物客が集まり、酒田湊は北前船の帆柱が林の様に見える位賑わったと言われます。当時から光丘は観光というものを考えていたようです。
 




日枝神社大祭図 明治25年


 

 「亀笠鉾」は、笠をつけると5mの高さになり、亀の背中にはおめでたい鯛・宝珠・米俵・珊瑚・鹿などの宝物が乗っています。戦前までは祭りに参列していました。
 5月15日に開かれる神宿には様々な山車の人形が飾られ、祭りの前日準備、20日酒田祭当日町中をひいてまわりました。
 戦後この「亀笠鉾」は祭に参列せず、昭和62年から酒田市総合文化センターに展示され、平成13年に酒田市指定有形文化財に指定、2年かけ京都で修復、平成15年再び酒田祭の行列に参加し皆様によろこばれました。現在では山居倉庫「夢の倶楽」でご覧頂けます。
 高さ20mもの立て山鉾を描いた掛軸、明治の頃の祭の様子、大正時代の神宿の写真など、酒田祭の今と昔もお楽しみください。

 今年の酒田祭19日の宵祭りには、高さ12m、重さ50kg、提灯46個の秋田の竿灯3本が復活した立て山鉾と共に酒田の夜を彩ります。
 20日本祭では昔の山車を復活させようと趣向を凝らしたたくさんの山車行列も見所です。どんな山車が練り歩くのでしょう。





大正時代の神宿(とや)


平成15年酒田祭り


  この季節ならではの美味しいふるさとごはん、孟宗汁、にらますの焼き魚、マスのあんかけうどん、ふきと厚揚げの煮物、たまご寒天、むきそばなど祭のごちそうもご賞味下さい。
 大きな山車は皆様の幸せを祈ります。


平成21年酒田祭り





 

 四季折々の山海の幸が豊富で「食の都庄内」と言われるほどです。
「ゆったりのんびり」心と体をリフレッシュさせ、おいしい食をお食事処やレストランでご満喫ください。
 

 「ふるさとの味覚」

   :桜マス 鯛 孟宗汁 月山竹 山菜の天ぷら(山の恵み) イチゴ
                             etc...


   :天然岩牡蠣 鮑のステーキ 口細カレイ のどぐろ 鮎 
                  だだちゃ豆 メロン
  etc...

 ご来邸をお待ち申し上げます。
 




 
 <次回展覧会のご案内>


  
   「伝来の茶道具〜その魅力と物語〜」  6月初旬〜7月中旬

   本間家四代光道が文化10年(1813)、本間美術館本館「清遠閣」・庭園「鶴舞園」(本間家旧別荘)を北前船の出入りが途絶える冬、港湾労働者たちの冬期失業対策として築造しました。200年もの歴史を紡いでいます。
 江戸時代は荘内藩主酒井家のお休み処、明治・大正・昭和と「酒田の迎賓館」として利用され客人をもてなす茶会が行われました。
 昭和26年から各流派の合同茶会を毎年開催し今日に至っています。「清遠閣のお茶」として親しまれています。折々御礼に頂戴し又は、客人をもてなすため準備した茶道具などの数々、歴史を辿ると共に心癒されるひとときへお誘いします。
 尚、清遠閣では下記の通りお茶会が行われます。鳥海山を借景とした美しい国指定名勝庭園「鶴舞園」を愛でながらご参加下さい。

 6月 7日(日) 遠州流
 6月21日(日) 裏千家淡交会